このあたりは、江戸時代熊本藩54万石細川越中守の下屋敷であり、赤穂浪士のうち大石内蔵助ら17人が預けられ、元禄16(1703)年2月4日切腹した所。
切腹の地跡は、高松中学校の塀の一部を囲って、旧細川邸の庭園として保存されている。